おおいたではたらく
2018年08月17日
特定医療法人 明徳会 佐藤第一病院若手社員
勤務時間がバラバラだし、忙しそうだし……というイメージがある「看護師」という仕事。いえいえ、意外にもオンとオフがハッキリしているうえ、仕事のやりがいはとっても大きいのです! 今回は、県北地域の最先端を行く規模と設備、そして充実の教育体制を誇る『佐藤第一病院』で、キャリアを積む看護師の先輩にお話を伺いました。
お邪魔したのは、こちら!!
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特定医療法人 明徳会 佐藤第一病院
昭和3年に『佐藤医院』として診療を開始し、昭和26年に『医療法人佐藤病院』創設。昭和45年から『明徳会 佐藤第一病院』として現在地で診療を続けている、宇佐市の地域に根付いた歴史ある病院です。時代の変遷にともない、北部圏域では回復期リハビリテーション病棟をいち早く設置したほか、近年は新棟を建設して外来、手術室、内視鏡センターなどを一新。「地域に密着した質の高い医療」「チーム医療の推進」を理念に掲げています。
お話を伺ったのはこちらの方。
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- お名前
- 本多 愛梨
- 所属部署
- 手術・内視鏡センター
- 入社年
- 2014年4月
- 出身地
- 長崎県雲仙市
- 出身学科
- 九州看護福祉大学 看護福祉科学部 看護学科
看護師になるための勉強をするには、専門学校や大学などさまざまな選択肢がありますが、もともとは養護教諭や保健師を目指していたという本多さんは、その免許を取り、将来の選択肢の幅を広げるためにも大学へ進学。ところが実習先で看護師の仕事に魅力を感じ、そちらへ舵を切ったそうです。
看護師の仕事に魅かれたのは、「患者さんと話しているのが楽しかったから」。卒業後は、地元・長崎県の大学病院に就職しました。そこで数年間働いたのちに結婚が決まり、夫の故郷である大分県宇佐市へ移住することに。結婚しても看護師の仕事は続けたい!と、新たな就職先を探していたときに出会ったのが『佐藤第一病院』でした。
「病院のパンフレットを見て、教育体制がしっかりしているなあと思い応募を決めました」と、本多さん。みごと採用となったのですが、手術・内視鏡センターという未知の世界に配属されたことに最初は不安も覚えたと言います。以前の職場では、病棟で患者さんの看護に携わる仕事だったのです。手術室は急患も多くて緊張がつきもの。就職したての頃は、患者さんの状態にショックを受けて倒れたこともあるとか。
そんな彼女をホッとさせてくれたのが「プリセプター・プリセプティ制度」というもの。新任の1年間、なんでも相談できる「プリセプター」という先輩看護師が指導し、見守ってくれるという仕組みです。「仕事の面でもプライベートな面でも、こまめに声をかけてもらって、すごく支えてもらいました。それに、私のプリセプターさんは看護師としても素晴らしい方だったので、尊敬でき、目標となる看護師さんに出会えたこともシアワセでした」。緊張の多い手術室の仕事も、場数をこなすうちに慣れていきました。
研修の様子
手術室・内視鏡センターの仕事は、手術中に医師への器械出しを行ったり、周手術期(入院から退院まで)の患者さんのケアを行ったりすること。胃カメラなど内視鏡の準備から施術も行います。「患者さんと関わる時間は病棟の看護師さんより少ないけれど、そのなかでどれだけコミュニケーションを取り信頼関係を築けるかが醍醐味です」と、本多さん。物腰を柔らかくして、短い間に不安や不明点を聞き出すことを心がけているそうです。手術中の器械出しも、医師とのコミュニケーションが命。難しいけれど、やりがいは大きいと話してくれました。
研修の様子
勤務は朝から夕方まで。緊急の呼び出しがあれば出勤するという待機の日はあるものの夜勤はなく、休暇もしっかり。「オンとオフがハッキリしているので、大分の温泉巡りも楽しんでいます!」とのこと。
「学生時代を思い出すと、レポートに追われたり、怖い看護師さんがいるから明日は実習に行きたくないとか、患者さんと上手く関われなかったから明日が不安だなとか、辛い思いもありました。でも、乗り越えてみれば楽しかった!と思い返すほうが多いです。今はキツいかもしれないけれど、がんばったぶんだけ成長につながるので、がんばって夢を叶えてほしいと思います」
最後に『佐藤第一病院』の魅力を尋ねると、「看護職に限らずスタッフの意識や向上心が高く、研修の機会がたくさんあって学びやすい環境をつくってもらえること」と答えてくれた本多さんは、今年で就職して5年目。学生の実習指導の担当にも付いている今、「いずれは実習指導者研修を受け、そちらの道も極めたい」という目標を持っています。そう語る笑顔のなかの瞳が、キラキラと輝いています。
- 企業データ
特定医療法人 明徳会 佐藤第一病院
WRITER
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佐伯市生まれ大分市育ち。大学で関西へ、就職で東京を寄り道してから大分へUターン。地元雑誌社勤務ののちフリーランスに。「帰っても仕事がない」なんて言ってる人に、大分にもスゴい会社、スゴい人がたくさんいることを伝えたい!