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おおいたをたのしむ

2021年05月28日

竹田の刀匠に聞く日本刀の魅力!

『日本刀』と聞いて思い浮かぶのは?侍が持っている刀をイメージする方が多いと思います。ここ数年は舞台化やアニメ化されたオンラインゲーム『刀剣乱舞』の人気もあり、日本刀に夢中になる『刀剣女子』が急増しているとか。

とはいえ、日本刀は博物館や映像でしか見ることがないし、遠い存在…。
と思っていたら、なんと大分に日本刀を作っている人がいるらしい!?
しかも、幻の刀剣『蛍丸』を復元したらしい!?
日本刀がどうやって作られるのか、なぜ刀匠になろうと思ったのか、『蛍丸』復元のクラウドファウンディングについて、気になることをお聞きしてきました!

日本刀ってどう作るの?!

訪ねたのは竹田市荻町にある日本刀鍛錬場です。こちらは刀匠 興梠 房興(こうろき ふさおき)さん。
「刀匠という響きからして気難しい職人さんなのでは…」と内心ビクビクしながら行ったのですが、とても気さくに迎えていただきました!(ホッ♥)
手に持っているのは蛍丸を復元した際に作った大太刀のうちの1つ。蛍丸については後ほど詳しく!

日本刀 刀匠 竹田

作業場の様子です。中央に神棚があり、神聖な雰囲気です。

日本刀 刀匠 竹田

早速いろいろと気になっていたことをお聞きしてみます!
「日本刀ってなにからできているんですか??」

正解はこちら!キラキラとしたきれいな石、なんだかわかりますか?

日本刀 刀匠 竹田

これは日本刀の原料となる純度の高い鋼『玉鋼 (たまはがね) 』です。玉鋼は砂鉄や鉄鋼石を、たたら製鉄法(*)で熔融して取り出した最上級の鋼塊。たたらという言葉は、映画『もののけ姫』に登場する『たたら場』で、聞いたことがある方もいるかもしれません。

(*)たたら製鉄(たたらせいてつ、英:Tatara)とは、日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法で、炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたために付けられた名称である。砂鉄や鉄鉱石を粘土製の炉で木炭を用いて比較的低温で還元し、純度の高い鉄を生産できることを特徴とする。近代の初期まで日本の国内鉄生産のほぼすべてを担った。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

こちらは日本刀ができるまでの過程を並べたもの。刀鍛冶のイラストや映像などを見て、トントン叩いて長細くなるというのはなんとなくわかっていましたが、実際に見るとこの塊がどうやって刀になるんだろう???

日本刀 刀匠 竹田

そこで実際に作業の一部『鍛錬(たんれん)』を見せていただきました!充分に沸かされた(熱せられた)鋼を平たく打ち伸ばし、さらに折り返して2枚に重ねる作業を繰り返します。
そばで見ているとかなりの迫力。そしてなんといっても熱い!!!!

当たり前ですが興梠さんは物ともせず、作業を続けていきます。

1日6〜8時間程度作業をするそうですが、ゴーグルの前面は約90℃になるそう。ゴーグルをしていないと眼球が焼けるような感覚があるそうです。

夏は地獄だろうなあ…と思っていると、

「ちょっとやってみます?実際体験してみないとわからないでしょうから」と優しいお言葉が(笑)。

せっかくなので炭の片付けを体験させてもらいました。
が、 アッツーーいーーーー!!!!(涙)
実際に炉のそばにいくと顔を背けたくなるような熱さでした。

日本刀 刀匠 竹田

この熱さに耐え、地道な作業を繰り返して、1ヶ月ほどでやっとできる一振りの日本刀。半端な熱意ではできない仕事だと思います。なぜ興梠さんは刀匠になろうと思ったのかをお聞きしました。

8軒断られ!?諦めずに念願の弟子入り!

興梠さんは現在39歳。大分県内の高校を卒業後、大阪でフリーターをしていましたが、25歳のときに将来の仕事について考えます。
「ずっとこのままフリーターというわけにもいかないし、どうせなら腕一本でやれる職人さんがいい。職人の中でも刀鍛冶がかっこいいなと思って決意しました」。

パソコンも持っておらず、スマホもない時代。ネットカフェで全日本刀匠会の会員名簿を検索。とりあえず近県の工房に電話をかけますが、断られ続けます。次に訪ねたのは岐阜県。当時岐阜県には18の工房があり、上から順番に訪ねていきました。

日本刀 刀匠 竹田

「8軒断られ続け、普通だったら心が折れると思うんですが、そのときは自分の人生の転機というかエネルギーがありました。絶対に刀鍛冶になるっていう意識しかなかったですね。その後、出会えたのが25代 藤原兼房(ふじわらかねふさ)刀匠でした。見た目はすごく怖いんですが(笑)、とてもフランクな性格の師匠です。弟子入り自体が難しい中で、入れて本当にラッキーだったと思います」。

日本刀 刀匠 竹田

26歳で弟子入りしましたが、最初は火を当たることすらできず下働きの日々です。
「とにかくひたすら努力しました。誰にも負けないくらい修行をがんばったと思います」。

5年間の修行後、文化庁主催の「美術刀剣刀匠技術保存研修会」を修了、試験に合格し、晴れて夢だった刀鍛冶になることができました。その後、約2年の御礼奉公を経て、独立。
地元の荻町に戻り、鍛錬場を開くことになったのですが…
ここでまた転機が…!

爆速で目標達成!?クラウドファンディングで幻の旧国宝を復元!

2014年に独立し、自分の鍛錬場を作り始めてまもなく、兄弟子の福留房幸(ふくどめふさゆき)さんから幻の名刀『蛍丸』の復元の話を聞きます。 蛍丸といえば、阿蘇神社に保管され1931年に旧国宝に指定されていますが、戦後の混乱で行方不明になっていた名刀です。 阿蘇神社は鍛錬場の地鎮祭を行っていただいた縁もあり、興梠さんも共同起案者として参加。

蛍丸は全長約136センチ・約2.5キロと、通常の2.5倍ほどもある大太刀(現代刀は70センチ前後・約1キロ)。復元にあたり、まず問題となるのは製作資金でした。この資金調達はクラウドファンディングで550万円を目標金額としてスタートしました。

目標金額は550万円でしたが、わずか5時間後に目標達成!
さ・ら・に!最終支援総額はなんと45,120,000円、達成率820%!

なぜこのような事態が起こったのか。それは、最初に記載した『刀剣乱舞』に理由がありました。
刀剣乱舞にこの『蛍丸』がキャラクターとして登場していたため、ファンの間で大きな話題に。

「私自身、刀剣乱舞のことを全く知らなかったので、何が起こっているんだ!?という感じでしたし、鍛錬場を作っている途中ですからね。めちゃくちゃ焦りました。(笑)。刀剣乱舞についてはネットで調べて、ああこういうことかと。ほとんどが女性からの支援でした」。

最終的には3185人の方が支援をし、クラウドファンディングはめでたく終了。資金も充分に集まり、製作も順風満帆!かと思いきや、そううまくはいかなかったようで…

「実物がないため、資料集めからスタートしたんですが、刀作り以外の作業が想像していたより時間がかかりました。それからまず複製品にあたる写し(うつし)を作るのですが、押形がないと作りにくい。押形とは、刀剣の上に和紙を押し当てて、石華墨という固形の炭で写し取るものです。自分たちの手癖を消すのに苦労しました。そしてわからなかったのは重ね(厚み)。運良く熊本の伝統工芸館に押形があったので参考にすることができました」。

日本刀 刀匠 竹田

2016年2月24日に自身の鍛錬場の火入れ式。その3日後の2月27日に阿蘇神社で刀の材料となる玉鋼を打ちのばす「打始式」を行う「奉納鍛錬」が開催されました。

「独立したときはまさかこんなにバタバタとしたことになるとは想像もしてませんでした(笑)。とにかくできなかったでは通らない。独立して最初のプレッシャーが凄まじかったですね」。

日本刀 刀匠 竹田

いよいよ兄弟子とともに製作に励む毎日が始まります。

「今まで作ってきたものとは大きさも違いますし、試行錯誤しながらひたすら打ち続ける日々でした。納得できず最初から作り直したこともあります」。

そして1年4ヶ月の製作期間を経てついに完成!2017年6月17日に阿蘇神社に奉納されました。式典には全国各地から刀剣ファンが詰めかけたそうです。

日本刀 刀匠 竹田

「いろんな人に迷惑をかけ、お世話になりました。たくさんの協力があってできたことで、自分たちだけでは決して成し遂げられなかったことです。無事できたのも阿蘇神社の神様の御加護があったおかげかもしれません」。

日本刀 刀匠 竹田

興梠さんの刀身製作は終了しましたが、現在も刀身以外の拵えが製作中です。

豊後にも名刀あり!奥が深い日本刀の世界

現在は個人でオーダーされた日本刀の他に、包丁なども製作しています。興梠さんに今後の展望をお聞きしました。

日本刀 刀匠 竹田

「一生の仕事として刀鍛冶を選びましたが、職人としていつ脂がのるかわかりません。40代かもしれないし、80代かもしれない。脂がのっているときにいい作品をたくさん残したい。自分が思う日本刀の『かっこいい姿』を作ることができるのかが今一番の課題です。でもとにかく作品をたくさん作って、その中で試行錯誤しながら見つけていくしかありません」。

自分の技術を磨くだけでなく、積極的に情報発信をしていきたいそうです。

「刀鍛冶は製作もですが営業も自分でしないといけない。昔と違い情報発信をしていくことが大事だと思います。職人の数も減っていますし、何もしなければ日本刀の文化は廃れてしまいます。そんな中、蛍丸の復元はいいアピールになったと思います。刀剣女子さんは入り口はゲームやアニメかもしれないけど、日本刀をガチで好きになる人もいます。蛍丸を展示した際には刀の地鉄を見るために単眼鏡をもってきている人もいましたね。そこまで楽しんでくれている気持ちがすごくうれしかったです」。

日本刀 刀匠 竹田

蛍丸の他にも名刀といわれるものはたくさんあるのですが、豊後(大分県)から生まれた名刀もあるそうです。

「日本刀のファンでない限り知らないと思いますが、豊後にも多くの刀工がいました。豊後刀は美術工芸品というよりは実用刀として知られているため、今のところあまり人気がありませんが、豊後刀も素晴らしいものがあります。豊後刀の写しを作り、展示をするなどして世の中に広めていきたいですね。日本刀の見どころは大きく三つあるといわれ、一つ目は「日本刀の姿(すがた)」。反りの具合や刀身の幅・厚さ、鋒(切先)などを鑑賞します。二つ目は「焼き入れ」によって刀身に生み出された「刃文(はもん)」。三つ目は刀身本体を構成している「地鉄(じがね)」。折り返し鍛錬によって生じた模様や、地鉄の色にはそれぞれの刀の特徴が表れます。こういった武器の仔細を鑑賞する文化はあまり外国にはないと思います。少し知識が増えると、鑑賞するのも楽しくなってきます。きっかけはなんでもいいので、日本刀に興味をもってもらえればと思います」。

いつか興梠さんが復元した豊後刀が新しい大分のシンボルになるといいなと思いました!みなさんも少し日本刀の世界に足を踏み入れてみませんか?

興梠房興日本刀鍛錬場
〒879-6115
大分県竹田市荻町馬場474-5
TEL 090-4512-3506

WRITER

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    美味しいもの、猫、温泉、旅行が好きです。子供のころは久住の大自然の中で育ちました。福岡に住んだこともちょこっとあり。大分の行ってないところ&食べていないものを発掘中。

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