おおいたではたらく
2019年06月28日
株式会社スーパー細川代表取締役
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- 業種
- 総合小売業
1982(昭和57)年に中津市内の「万田店」からスタートし、同じ中津市内の「沖代店」、福岡県豊前市の「豊前店」の3店舗を展開する地域密着型スーパーマーケット。「よりよいものをより安く」をモットーに、確かな商品を提供し、地元民たちの心を掴んでいます。約230人の従業員は、扱う商品同様、若手も多いフレッシュな顔ぶれ。2018年秋には大分市に新店舗「ファーレマーケット」を出店し、新たな挑戦もしながら地域に欠かせない存在として成長を続けています。
社長インタビュー
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- 企業名
- 株式会社スーパー細川
- お名前
- 細川 唯(ホソカワ タダシ)
- 役職
- 代表取締役
当社の歴史は、戦後に養鶏から始まりました。現在「万田店」がある場所で、祖父が養鶏場を営んでいたんです。その後、中津のまちなかにあった定食屋さんが持ち帰りの唐揚げを売り始めたのを知り、父が「養鶏をしているんだから唐揚げもやってみよう」と、その店につくりかたを習って唐揚屋をオープンしたのが昭和40年代。中津市では2番目に古い唐揚専門店だったと聞いています。
ところが、養鶏場で育てていたのは種鷄。いわゆる地鶏で肉質が固く、唐揚げには向いていない…というわけで、養鶏場なのに唐揚げ用の鶏肉を仕入れ始めたというから、マンガみたいな話でしょう(笑)?! でも、父の新しいことに挑戦しようというこの精神は尊敬すべきところだと思っています。
唐揚屋を始めると、次第に鶏肉自体を売ってほしいというお客さんが増えてきました。昔はスーパーマーケットがなく、必要な品物があればそれぞれの専門店で買い物をしていたんです。鶏肉を売るなら牛も、魚も、青果もとお客さんのリクエストに応じてジャンルが増えていき、かつて養鶏をしていた場所には肉屋と魚屋、食品、青果店が軒を連ねてできあがりました。ところが、やがて近所にスーパーマーケットができ、常連さんたちが皆そちらで買い物をし始めたんです。うちも時代の波に乗り、品揃えをよくしなければ地域のニーズに応えられない。そう感じて、昭和57年に「スーパー細川」はオープンしました。ちなみに、唐揚げは今でも惣菜コーナーいちばんの人気商品です。
まだスーパーができる前は、小学生だった私も商店でレジ打ちを手伝っていましたよ。ただ、将来はエンジニアになりたくて、九州大学の工学部に進学したんですよね。ところが、父から家業を手伝ってほしいと言われ帰郷を決心。その前に、金融機関で3年間だけ経験を積むことにしました。勤務地が東京だったため、仕事には日々緊張感があり、自身のスキルアップも実感しながら充実した日々を過ごしていました。ただし、「人間の幸せとは何か?」と考えると、家族の生活を守る責任があるなと。そう思うと、やはり地元で生きていくことが理想だと思えて。今、振り返っても、戻って来てよかったなあと感じています。
家業を手伝い始めた頃は、大型スーパーの出店が相次ぎ、経営はとても厳しい時代に突入していました。帰郷してさっそく、頭を悩ませましたね。そこでまず考えたのが、スーパー細川の「存在価値」について。社会的価値がなくなり、人々に必要とされないのであれば会社が生き残る必要はないと思ったからです。そして、扱う品物の品質や流通経路を把握することから始めた私は、ある日「良いものを売っているのに、良いものだと伝えきれていない」と気づいたんです。
例えば牛肉。当時、どこの店も産地はおろか輸入牛か和牛かはっきり表示せずに販売している状況が当たり前で、消費者は価格を購入の判断基準にしていました。うちは和牛をそれなりの値段で売っていましたから、輸入牛を安く売っている店には敵いません。しかし、「うちの肉は甘みがあり肉質も軟らかい和牛だから他店より高いんですよ」としっかり伝えられたなら、お客さんはちゃんと分かってくれると思ったんです。まずは食べていただくために、値引き価格で提供もしました。すると、「子どもに食べさせたい」と言って買いに来てくれるような人が増え、品質にお客さんがついて来てくれるようになりました。肉だけではなく、魚や他の品物についても、品質と提供の仕方を追求しました。今でもその姿勢は変わらず、月に一度、講師を招いて食品の勉強会を重ね、社員そろって知識を深めています。最近は、お得な会員特典を受けられる電子マネー「コジカ」のサービスや、それと連動するスマホアプリ「スマートレシート」を導入。常にお客さま目線で、これからも「良い」と思ったものは導入していきたいと思います。
県外の学校で学んでいる学生さんに伝えたいことは、「そのまちをよく知ってほしい」ということです。都会では存分に刺激を受けて、アンテナを高くする必要があります。大分には都会ほどの刺激はないかもしれないけれど、人間らしい豊かな暮らしがあります。自分のことだけに頭をひねるのではなく、「自分がまちをつくっていくんだ」という気概を持ち、地域の中心となって頑張る覚悟で戻って来てくれたら嬉しく思います。
- 企業データ
株式会社スーパー細川
WRITER
- rain記事一覧
佐伯市生まれ大分市育ち。大学で関西へ、就職で東京を寄り道してから大分へUターン。地元雑誌社勤務ののちフリーランスに。「帰っても仕事がない」なんて言ってる人に、大分にもスゴい会社、スゴい人がたくさんいることを伝えたい!