おおいたではたらく
2020年10月30日
大分みらい信用金庫若手社員
大分県民なら、誰もが知る金融機関のひとつが「大分みらい信用金庫」。その歴史は1922年(大正11年)の設立から始まり、2022年(令和4年)には100周年を迎えます。今日は、そんな歴史ある信用金庫に入庫し、7年目を迎える一人の先輩にお話を聞きました。自分の進む道のりに悩みながら、辿り着いた今。その背景には皆さんの参考になるストーリーがきっとあるはずです。ぜひご一読ください。
お邪魔したのは、こちら!!
-
大分みらい信用金庫
大正11年、76名の有志が集まり有限責任「別府信用組合」として設立。
「この地域(まち)に根ざし、未来(あす)を拓(ひら)く」の経営理念を基に、別府市、大分市をはじめ県北まで32店舗を展開する協同組織の金融機関です。
お話を伺ったのはこちらの方。
-
- お名前
- 時枝 健太
- 所属部署
- 亀川支店
- 入庫年
- 2014年
- 出身地
- 中津市
- 出身学部
- 山口大学 工学部
中津市出身の時枝さん。
中津南高校を卒業後、山口大学工学部へと進学しました。
「高校時代は、この先学んでみたい事がハッキリと描けなかった中で、唯一興味を持ったのが建築関係でした。また、生まれ育った大分を一度出る事で、何か感じる事があるかなと県外へ出ました」。
自分の手がけた仕事が形になることに淡い憧れを抱いた時枝さんでしたが、そこには厳しい現実が待っていたと言います。
「いざ工学部で学んでみると、理数系が得意というだけではなかなか厳しかったですね(笑)こんなにも難しい勉強が必要なのだと、実感しました」。
設計や耐震関係など、専門的な知識を一から学ぶ日々は大変だったと当時を振り返ります。
就職活動時には自分の進む道に迷い、色々な選択肢と葛藤しました。
「建築の難しさも4年間で分かっていたので正直なところ、どの道へ進むかを悩んでいました。一方で内定をもらって安心したい気持ちもあって。実際に何社か建築関係の会社も受けて、内定もいただきましたが、それが将来仕事にしたい事なのかどうか真剣に考えましたね」。
焦る気持ちと、ひとりっ子なので両親の近くで働きたいという想いが交錯した時枝さん。その時「大分みらい信用金庫」との出会いがありました。
「小さな頃から、母の実家にみらいさんが来てくれていたので身近な存在でした。また県内の企業なので例え転勤があっても、両親から遠く離れる事はないという安心感が大きかったですね」。
また、採用担当の方の姿が印象的だったとも言います。
「他の会社の方と違うものを感じました。とてもしっかりしていて、自分もこんな社会人になりたいと感じたのは大きな決め手となりました」。
家族を想い、自分の進みたい道を見つけた時枝さんは、見事「大分みらい信用金庫」の門を開きました。現在、入庫7年目を迎え外回りの営業を担当。苦しい時もありますが、同じくらい嬉しい事もあると充実した日々を送っています。
「新規のお客さまを開拓できた時が一番嬉しい瞬間です。最初は門前払いでも、通っているうちに打ち解けていけるので、そこまで辛いと感じる事はないですね」。
営業1年目は、1人で外へ出ることも初めてで苦労したと当時を振り返りますが、今ではすっかり営業マンの鏡!これからは自分の経験を優しく、時に厳しく後輩に伝えられるようになる事が目標だと言います。
大分で就職した理由・大分で働く魅力について
大分で生まれ育ったので、少しでも地元の発展に貢献できたらいいなと思っています。この仕事は、業種的にお客さまと直接接する仕事なので、それを実感できるのが魅力だと思います。大分は食事も温泉も良いですし、自然もたくさん。どこが好きかというより、嫌いなところはありません!
就職活動中の学生さんへアドバイス
いっぱい遊んで、いっぱい勉強してほしいと思います。僕自身が学業に追われて、学校のイベントなども参加できなかったので後悔もあります。アルバイトもそうですが、色々な経験が将来の仕事にも繋がります。僕も今、建築関係の会社へ行くと、大学時代の事が会話の入り口となり色々話ができます。無駄な経験はないと思うので、どんどんチャレンジしてほしいですね。何事も失敗しないようにと思わずにトライしてみて下さい。失敗も経験した方が、次への何かに繋がると僕は思っています。
- 企業データ
大分みらい信用金庫 本店
WRITER
- 塩月 なつみ記事一覧
かぼすポン酢をこよなく愛する生粋の大分女。美味しいものが大好きで、おなかがすくと途端に不機嫌になります。大分トリニータを中心に、企業や観光、飲食などオールジャンルで取材撮影中!