おおいたではたらく
2016年09月30日
大分キヤノン株式会社若手社員
被写体に向かってボディを構え、フィルムを巻いてからシャッターを切る。現像から返ってくる写真を待ちわびる…。ピンぼけ、真っ白、真っ黒。ほんの少し前までそんな時代だったのに、今では思い通りの写真を撮り、その場で出来も判断できる。技術革新とは本当に凄いものです。しかし、その技術も人の手によって成されています。今回は、そんなものづくりの最先端を行く、大分キヤノン株式会社の先輩です。
お邪魔したのは、こちら!!
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大分キヤノン株式会社
ものづくりの上流から下流まで、そのほぼすべてを社内で行う大分キヤノン株式会社は、1982年に国東市に誕生しました。アマチュアからプロフェッショナル、パーソナル向け、業界向けの最先端製品を最先端の技術で生み出し続けています。そのために必要なのが人材。ものづくりのプロ、すなわち職人を生み出し、大切にする社風がありました。グローバル企業でありながら日本らしさを感じる企業。先輩はなぜここに就職し、どんな仕事をしているのでしょうか?
お話を伺ったのはこちらの方。
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- お名前
- 伊藤 翔太(28歳)
- 所属部署
- 製造推進センター製造推進部
- 入社年
- 2010年4月
- 出身地
- 大分県速見郡日出町
- 出身学科
- 工学部機械航空工学科
ものづくりの仕事に就きたいと考えていたという伊藤さん。進学先は、航空技術に惹かれて県外の大学に決めたそうです。物理や材料力学、図面の書き方など、作ること、動かすことについて学ぶ大学生活を送っていました。「就職先は、ものづくりに関わる仕事、やはりメーカーが良いなと考えていました。ですが、大学院への進学も考えていたので、就職活動のスタートはちょっと遅かったですね」という伊藤さんは、説明会などへの参加を通して就職を身近に感じるようになっていったそうです。
「数社興味のあるところがあったのですが、父の友人が大分キヤノンで働いていて、「風通しの良い会社で、個人の意見を聞いてくれる」という話を聞き、大分キヤノンに就職したいと思うようになりました。地元に帰りたいという思いも強かったので、最終的には1社に絞りました」。その決心から7年、当時の選択が間違っていなかったと思えるような、充実した仕事に取り組んでいるようです。「入社前は、カメラを作っているのかな?というイメージしかありませんでしたが、単に作っているのではなく、生みだしているんだという感覚です」という伊藤さん、現在は部署のチーフとして、新商品の工程設計を担当。量産性の向上などを目指し、数百点にも及ぶメカ部品一つひとつの設計や検査方法を考え、部品メーカーとの折衝などを通じて設計部門とともに新商品の開発に携わっています。
「大分キヤノンを選んで良かった。心からそう言えます。自分を試すことができ、常に仕事で考えさせられる。これからもずっと自分自身が成長していけると感じさせてくれますから」という伊藤さんは、2児のお父さん。28歳の若さでマイホームまで。オンオフともに充実しているからこそ、そのどちらでも力を発揮することができるのでしょう。「将来的には、どこの部門で仕事をしたいかということよりも、全社の将来像を想像し、形にすることができる人材になることを目指しています」と意欲的。
地元に戻りたい。ものづくりの仕事をしたい。そんな願いを120%叶えたといえる伊藤さん。入社前はあまりカメラに興味はなかったそうですが、今では自社のカメラでお子さんを撮影することが楽しみに。観光地などで写真を撮っている人を見かけると、どこのメーカーのカメラを使っているのか気になるそうです。自身の就職活動を通じて、後輩へのアドバイスは「資料だけではなくて、働いている人の生の声を聞くことです。自分の目と耳で確かめて欲しいですね」とのこと。伊藤さんの話を聞いた就活生は、迷わず大分キヤノンを受験しようと思わせるだけの説得力を感じるのではないでしょうか。
- 企業データ
大分キヤノン株式会社
WRITER
- 嶋山 哲史記事一覧
上京する仲間を見送り、彼らより充実した仕事、暮らしをココ(大分)で叶えると誓った20代。寝る間も惜しんで働き、遊んだ20代。下積み活きてきた30代。あっという間に40代。一所懸命生きていると自ずと自分の道が見えてくる…? しんけん働こう。