おおいたをたのしむ
2021年09月30日
大学生がめぐる!おおいたTrip レトロかわいい豆田町さんぽ 後編
実は大分ってこんなところがあったんだ! おいしいもの、楽しい場所、感動の景色…改めて大分県のいいところを探るべく、大分県出身の大学生が巡るプチトリップレポート。今回は「日田豆田町 後編」をお届けします♪
今回日田市をめぐったのは…
Kanokoさん
大分市出身。現在、東京大学文学部人文学科社会学専修課程3年生。文化行政やまちづくりに興味があり、初めて歩く豆田町の散策をとても楽しみにしていました! 地元の方のお話や文化財との出合いに興味津々です。
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続いてはレトロな薬の資料館へ
3 岩尾薬舗 日本丸館
案内してくれた方/岩尾薬舗18代目 岩尾まゆみさん
日本丸は販売戦略がしっかりと立てられたヒット商品だった!
- Kanokoさん(以下、Kanoko)
- 日本丸館はひと際目を引く建物で、重厚感ある佇まいに歴史を感じます。ヒット商品となった「日本丸」はどんな薬だったんですか?
- 岩尾さん(以下、岩尾)
- 昭和20年に発売した日本丸を開発したのは、岩尾家15代目の昭太郎です。日本丸の原料は動物性の漢方で小さな赤い粒状の薬なのですが、当時は薬の少ない時代で、万能薬として販売していました。日田で製造し、東京や大阪、名古屋などにも支店を構えていたんですよ。
- Kanoko
- 大きな会社だったんですね。
- 岩尾
- 昭太郎が東京などに自ら出向き精力的に宣伝していたようです。「日本丸ありますか?」と昭太郎が薬屋でたずね、「知らないんですか?九州の日田で…」と戦略的に売り込んでいたようです。「ふしぎによくきく日本丸」というキャッチフレーズも自ら考案してポスターやパッケージにも載せていました。
- Kanoko
- 昭太郎さんは経営者であり、クリエイティブな領域もこなす多彩な営業マンだったんですね!
このレトロなデザインの商品も薬ですか?
- 岩尾
- これは富山の置き薬なんですが、意外にも若い方がおみやげに買ってくださるんですよ。以前お越しになったお客さんが「帰ってフレームに入れて飾ります」と全種類買っていかれました。
- Kanoko
- 確かにアート感覚で飾りたくなりますね!
贅の限りを尽くした商家の暮らしぶりに圧倒
- 岩尾
- 資料館には薬を製造する道具などを並べています。江戸時代は平屋だったんですが、少しずつ増築して木造四層三階建てになったので、おもしろい造りになっていますよ。
- Kanoko
- これはすごい数の展示ですね。漢方薬の壷が大きい! 昔の看板のデザインもかわいいですね。
- 岩尾
- 昭太郎が「女子の教育にも力を入れるべきだ」という考えを持っていたので、学校教育にも携わっていました。寺子屋で使っていたものも展示しています。ここからすぐ近くにある、かつて女子高だった昭和学園高等学校は昭太郎が創立したんです。
- Kanoko
- さすが、豆田は江戸時代の学園都市ですね。みなさん教育への意識が高い!
- 岩尾
- 増築した奥の母屋のほうも見てください。びっくりしますよ。
- Kanoko
- まるで迷路のようですね。
2階なのに庭園がある!! ええええ! この部屋、なんて広さなんですかー!
- 岩尾
- この空中庭園は当時噴水もあったんです。松の一本造りの廊下の窓に入っているガラスもすべて当時のもので、特にこの大広間は商家の華やかな暮らしを垣間見ることができる一番の場所だと思います。当時では珍しかった昭太郎の金婚式での道具類を展示したり、3月はおひなさまもここに飾っています。
- Kanoko
- とにかく豪華すぎてもう言葉が出ません…。 2階だけでこんなにすごいのに、まだ3階があるんですよね!?
- 岩尾
- はい、天守楼になっていて「豆田の天守閣」と呼ばれているんですよ。
- Kanoko
- 窓が大きくて開放感ハンパない! 豆田の町並みがこんな高い場所から見られるなんて。古い瓦が波のように続いて、なんとも穏やかで美しい景色ですね。
- 岩尾
- 豆田町は天領の文化がたくさん残っていて、本当に貴重な町だと思います。春には町中がおひなさまの展示でにぎわうので、また遊びに来てくださいね。
館内の様子はこちら
Kanoko’s impression
レトロな小袋の薬のかわいさもさることながら、長年大事に使われてきた家具なども見ごたえがあり、代々続くお店の歴史を肌で感じることができました。
入り組んだ不思議な間取りに突然庭が現れるなど、まさに迷路のような造りが印象的でした。店主の岩尾さんも気さくにお話してくださり、日田を訪れた際には絶対また立ち寄りたいです!- 岩尾薬舗 日本丸館
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日田の歴史とセンス、職人の思いを届ける場所
4 Life Design Shop Areas(エリアス)
日田杉でつくったカトラリーやインテリア、小鹿田焼(おんたやき)のうつわなど、日田の素材や技術にこだわったものづくりを伝えるセレクトショップ。またAreasの向かいにあるショールーム「まめやど」では暮らしにまつわる商品や作品を展示。
案内してくれた方/オーナー 仙崎雅彦さん
地域に必要とされる美しき民芸品
- Kanoko
- こちらには日田の素材を使ったおしゃれな雑貨がたくさんあると聞いてやってきたのですが、かわいいものばかりで感激しています。俄然興味が湧きました。特に日田杉のことや工芸品など、日田のものづくりの背景を教えてください。
- 仙崎さん(以下、仙崎)
- 地域の人たちに必要とされているものをつくる「暮らしの美」を唱えた思想家の柳宗悦(やなぎむねよし)が、1930年代に全国を回り、ものづくりの本来あるべき姿を全国に説いてまわりました。そのときに宗悦が日田にも訪れて、小鹿田焼を見つけて紹介したことがきっかけで、小鹿田焼の名が知られるようになったんです。Kanokoさんが日田杉のことに興味を持ってくれたのは、そういった流れで日田の工芸が広まったからなんですよ。
- Kanoko
- 小鹿田焼もすごく温かみを感じる工芸品ですよね。いろんな歴史の流れがあったんですね。
- 仙崎
- そうなんですよ。私は福岡県北九州市の出身で、もともとソファのデザインがしたいと思っていて。それなら大分県の日田に行きなさい、と薦められて日田に来ました。日田って九州で一番ソファがつくられている場所なんですよ。
- Kanoko
- そうなんですか!? なぜ日田でソファが生産されるようになったんですか?
- 仙崎
- 日田は林業が盛んで、家具の産地である福岡県大川市と交流があったり、加工技術を学ぶ「徒弟学校」が戦前から日田にあったりと、ものづくりも活発になっていったんです。戦後、福岡県の田川の炭坑で使う椅子を日田でつくることになり、そこから日田が脚物(あしもの)家具の産地と言われるようになりました。
時代とともに生活様式が西洋化され、日田の職人さんたちも勉強をしてソファをつくるようになったという経緯があります。積み重ねてきた歴史と技術の賜物ですよね。 - Kanoko
- 地域の方たちが必要とするものを生業にしてきたことが、日田のものづくりを発展させていったのですね。文化や産業の始まりとなった根拠に納得です。
進化し続ける日田のものづくり
- 仙崎
- 昔は日田の盆地から山を越えるのも大変だったので、暮らしに必要なものはすべて日田でつくられ、手に入っていました。
そうやって今も引き継がれている日田のさまざまな産業を伝えるために「衣食住 暮らしが生まれる町」というテーマで、有志が活動をしているんですよ。その一つが工場見学です。熱い思いを持って高みを目指す職人さんや農家の生産者さんから直接思いを聞くとすごく感動しますし、ますます日田のことが好きになります。 - Kanoko
- 仙崎さんは日田のものづくりをいろんな形でサポートされているんですね。
- 仙崎
- 私一人ではできません。それに、楽しんでやっているので(笑)。
日田のものづくりのすごさ、おもしろさ、日田という土地の魅力を、外から来た人間が多くの人に伝えることさえできれば、みんな日田のファンになってくれるはずです。
先人の努力や知恵、日田の産物の恩恵を受けて、それを継続し技術が蓄積され、その時代ごとに合ったものづくりがなされてきた日田の文化は今後も進化していくと思います。
これからは若い人たちにも頑張ってもらわないと! Kanokoさんも都会でいろんなことを吸収して、大分に新しい情報や感覚を持って帰って大分を盛り上げてくださいね!
店内の様子はこちら
Kanoko’s impression
いかに日田の文化を育て、残し、受け継いでいくのか。気候や歴史といった土地柄に根ざし、他方面からのアプローチで展開されるものづくりの一端を感じることができましたし、なによりも仙崎さんが情熱をもって活動されていることが伝わってきました。店内は商品だけでなく照明や壁紙に至るまでこだわりが感じられ、そこに込められた思いを一つ一つ聞いてみたくなりました。
- Life Design Shop Areas
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住所:大分県日田市豆田町7-20
TEL:050-1048-7757
営業時間:9:30~19:00
休日:不定休
豆田さんぽを体験して
SNSが発達した今、私自身を含め若者の観光といえば写真映えすることが主眼に置かれることも少なくありません。スマホから顔を上げて、その土地の方々の話に耳を傾けると、思いもよらない発見があり、訪れた土地の見え方が変わってきます。そんな偶然の出会いも旅の醍醐味ではないでしょうか。天領日田そして豆田町の様々な表情を知ることができ、とても有意義な時間でした。
この記事を読んでくださった方が、豆田町や日田に少しでも関心を持ってもらえたら嬉しく思います。そして若者に響く大分の観光情報の発信方法についてこれからも模索していきたいです。Kanoko
WRITER
- 牧 亜希子記事一覧
planner/writer。特に大分県の観光情報が得意な自称「勝手に大分県の魅力案内人」。友人からのリクエストで旅行プランを立て、アテンドすることも。 特技/取材や撮影に行くことが多いにもかかわらず、「超」が付くほどの雨女。私の行き先ではかなりの確率で降らせます。取材先の皆様、ご了承くださいませ。
安政2年から薬屋を営み、爆発的に売れた万能薬「日本丸」を明治20年から昭和40年まで製造。資料館には、日本丸の製造に使用した道具などを展示。現存する建物は大分県を代表する近代建築物の一つで、国登録有形文化財に指定。