おおいたではたらく
2018年11月30日
株式会社 江藤製作所代表取締役社長
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- 業種
- 製造業
1971年に「江藤酸素」の溶断工場として誕生。1973年に独立して「江藤精密溶断」となり、1983年に「江藤製作所」に改名しました。江藤酸素のエネルギーをベースに、化学・医療・製造・宇宙開発などの幅広い分野にプラントや設備機器を提供。地方にありながら全国各地にその技術を求められ、2001年にはH-ⅡAロケット開発への貢献が評価されて、宇宙開発事業団から感謝状を授与されています。
社長インタビュー
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- 企業名
- 株式会社 江藤製作所
- お名前
- 神品 誠治(コウジナ セイジ)
- 役職
- 代表取締役社長
江藤製作所は、江藤酸素という会社から独立してできた会社です。江藤酸素は戦後に佐伯市で生まれ、ガスや酸素をはじめとするエネルギーの製造・供給などを行ってきた企業。そのエネルギーを使って金属の溶断も請け負い始め、1973年に江藤精密溶断株式会社として分離独立したのです。現在の社名になったのはその10年後、1983年のことでした。現在は「溶断事業部」「化工機事業部」「精密板金塗装事業部」の3つを柱に、化学・医療・製造・宇宙開発などの幅広い分野にプラントや設備機器を提供しているモノづくり企業です。
私の話をさせていただきますとね、学生の頃、美しい星空に憧れていて「あそこに行ってみたい」と思っていたんですよね。で、大分工業高等専門学校に通い、卒業後は神戸の川崎重工に就職。まもなく宇宙開発関連のプロジェクトに配属されて、運の良いことに夢が近づいてきたんです。ところが、結婚して子どもができると、自分の人生の地盤も固めたいと思うようになってきました。そこで、故郷の大分へUターン。のちに江藤製作所となる江藤酸素に入社しました。
入社後は、自身の経験を生かして宇宙分野にチャレンジしたいという思いがありまして。当時の社長に「やらせてください」と言ったのですがなかなか叶わず。今、自分が社長になってみてわかりますが、リスクの大きいことですから簡単には着手できなかったんでしょうね。けれど、ずっと言い続けていたらある日ついにOKをもらえたんですよ。時代が平成に移り変わった頃のことでした。そして、種子島宇宙センターにあるH-ⅡAロケット発射場の、高圧ガス噴射設備の配管について設計と製造、設置まで行ったりしてきました。そういった経験の積み重ねがあり、今回、九州工業大学が進める小型環境観測衛星「てんこう」のプロジェクトに参加させていただき、衛星の外部構造を当社が担当しました。
宇宙の分野はとくに大きなことですが、お酒の醸造や食品の製造などに使われるステンレスタンクをつくったり、ここで手がけているのは、世の中でつくられる何かの、そのまたインフラの一部をつくる仕事ですよね。モノづくりというのは、みんなのためになることをカタチとして残せる、とても夢のある仕事です。幸せを感じられると思います。
これは私の経験から言えることですが、「追い続ける夢は必ず叶う」そう信じることです。そして努力を怠らないことです。ただし、夢に近づくためには失敗も必要なんです。チャレンジした結果の失敗なら、恐れることもありません。何もしないのが一番の悪です。理論の蓄積と実践を繰り返し、そうして経験を積み重ね続ければ、夢に一歩ずつ近づいていけます。
蛇足ながら私の私の座右の銘を紹介しますと「成し遂げんとした志を ただ一回の敗北によって 捨ててはいけない」(シェークスピア)です。
当社には最近、2人の女性技術者が入社し、活躍しています。彼女たちの入社にともなって女性専用の休憩室を新設したほか、何より会社の雰囲気がパッと明るくなりました。のびのびと仕事に取り組める職場です。みなさんもここで、一緒に夢を追いかけませんか?
- 企業データ
株式会社 江藤製作所
WRITER
- rain記事一覧
佐伯市生まれ大分市育ち。大学で関西へ、就職で東京を寄り道してから大分へUターン。地元雑誌社勤務ののちフリーランスに。「帰っても仕事がない」なんて言ってる人に、大分にもスゴい会社、スゴい人がたくさんいることを伝えたい!