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おおいたではたらく

2017年03月17日

大分デバイステクノロジー 株式会社

  • 大分デバイステクノロジー 株式会社
  • 業種
    製造業

    半導体。誰しもその言葉を聞いたことがあることでしょう。しかし…それがなんなのか?正確に説明できる方はあまりいないのではないでしょうか。電化製品や交通、通信、医療など幅広い分野で欠かせない製品なのです。そんな半導体を中心に、エネルギー利用のキーデバイスを提供する最先端モノづくり企業が大分市野津原にあります。

社長インタビュー

  • 大分デバイステクノロジー 株式会社
  • 企業名
    大分デバイステクノロジー 株式会社
    お名前
    安部 征吾(アベ セイゴ)
    役職
    代表取締役

弊社は、大手メーカーの協力工場として1970年に操業を開始し、1973年に森電子工業株式会社として法人化。父に代わって私が社長に就任した後、現在の社名に変更しました。大分市内で生まれ育ち、大学進学を機に上京したのですが、父からは一度も跡を継げということは言われませんでしたね。卒業後は、大手メーカーに技術職として就職。30歳の頃、帰省した際に父の部下から「会社の状況があまり良くない。ぜひ跡を継いでもらいたい。」と話がありました。父本人からではないところが『本当に求められている』と粋に感じると同時に、厳しい状況にある会社を傍観しているだけでいいのか?とも思いました。これは『生き方』の問題だと。たくさん考えました。社内でも中堅に差し掛かり、仕事も楽しかったし、部下ができるという話もありましたから。宿命、運命、やりがい、生き甲斐。いろんな角度で考え、覚悟したのが、父の会社を立て直すことでした。当時、半導体業界がかなり厳しいこともあり、上司は心配してくれましたが、最後は快く送り出してくれました。

大分デバイステクノロジー 株式会社

地元に戻ってからは、品質技術部長として本社工場の新設に取り組みました。会社は思った以上に酷かったです。指針があるわけでもなく、会社というよりも作業場という感じ。そこで、各部門に軸となる人材を中途で採用し、会社の骨格づくりにも着手しました。そんな折、本社工場の建設中に父が体調を崩し、社長業を代行するようになりましたが、私は技術屋でしたから経営は全くの素人。銀行からお金を借りるということさえも何をすればいいのやら…という状況でした。父や周りの方に教えを乞い、必死に学びました。未だに忘れられない日々です。正式に社長に就任したのは2001年。その年、見事にITバブルがはじけ、大きな赤字を出してしまうというスタート。しかし、リストラだけは絶対にしないと誓い、役員報酬をカットするなどしてなんとか乗り越えました。私が社長として大切にしたのは、経営指針を明確に打ち出すことでした。会社がどこに向かうのか、どういう企業を目指すのか、それをはっきりとさせる羅針盤づくりですね。もちろん、技術力が大切なのは当たり前。半導体はこれからの時代になくてはならないものではありますが、コスト面で優勢な海外の企業と渡り合うには、技術力で勝負しなければなりません。常に最先端であり続け、社会の先を見据え、事業に取り組んでいかなければならないと強く思っています。

大分デバイステクノロジー 株式会社

そこで大切になるのが人材です。以前より、人材確保が難しい時代がやってくると感じていましたので、新卒者の採用は継続してきました。若者雇用促進法に基づき厚生労働大臣が認定するユースエール制度も基準などを見ると弊社では当たり前にやっていることばかりだったので申請し、大分県内の第1号として認定をいただきました。就活生の目につきやすくなったのではないかなと感じています。

新卒者でも中途の方でもそうなのですが、『空いている窓口にくるのではなく、窓口を自ら開けてほしい』と思っています。弊社は技術職としては理系の企業ですが、文系の方を必要とする職種もあります。自らの手で未来の窓口をこじ開けてほしいですね。

今、就活している方は、自分の10年後を想像してみてください。興味のある会社で、10年後自分がイキイキと働いている姿が想像できるのならそこに決めて問題ないと思います。10年後、自分がこうなりたいと思い描けるのならば、良い選択ができるはずです。そこが大事です。

先輩インタビューはこちら

企業データ

大分デバイステクノロジー 株式会社

〒870-1203
大分県大分市大字野津原1660番地
TEL:097-588-1153
HP https://www.odt.co.jp/

WRITER

  • 嶋山 哲史
  • 嶋山 哲史
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